人間にとって最大の関心事は、つねに人間自身にあった。写真の発明から現在まで、撮られてきた多くのポートレート(肖像写真)を見ると、そのことがよくわかる。
ただし、ポートレートの撮り方、あるいは撮られ方はずいぶんと変わってきた。たとえば19世紀のポートレートを見てみると、いまと違いモデルの表情にはほとんど笑顔がない。ただ、じっとポーズをとっているだけなのだ。
この当時に使われていた、フィルム以前の感光材料はとても感度が低く、一枚の写真を撮るのにたいへんな時間がかかった。そのため背後から首を固定する器具を使っており、とても笑ってはいられない状況であった。また、このころの肖像写真の大きな目的は、その人の職業や社会的地位を表すことにあったから、とくに笑う必要もなかったのだ。
しかし、20世紀に入り写真がより普及してくると、人々は写真の力がもっと強いことを知るようになる。つまり、写される人の外見だけでなく、その内面を写真が詳細に語っていることに気づいたのだ。そこで他人に向けた親しみのサインとして、写真で笑顔を作るようになった。またライティングで陰影を強調したり、撮影地を海外に求めたり、ときには撮影中のハプニングをも演出として利用するようになってきた。
たとえばカナダの写真家であるユーサフ・カーシュは、英国の首相チャーチルを撮影したとき、チャーチルが手に持っていた葉巻をさっと奪いとった。機嫌を損ねたチャーチルがカーシュをにらみつけた瞬間、シャッターが切られた。時代は第二次世界大戦のさなかだったため、この写真は戦う首相のイメージを象徴する一枚となった。このように写真家は被写体の感情をもコントロールし、ひとつのイメージを作り出してきたのである。
私たちの生活のなかで撮られる写真でも、演出が存在する。成人式や七五三、そして結婚式など家族の記念写真では、親は親らしく、子は子らしく写されることが多い。友だちどうしで撮るプリクラでも、仲のよさを強調するノリのいいポーズをとるだろう。
そう考えると、ポートレートは社会に被写体の存在や人格をアピールするとともに、写された被写体の間でその絆を確かめあう役割も果たしているのだ。