人間の能力の限界に挑むスポーツシーンの記録は、写真にとってその真価がもっとも発揮されるジャンルといえるかもしれない。スポーツ写真は、記録を達成したり勝負を決めた一瞬や、鍛え上げた人間の美しさをとらえるものだが、競技の内外でかいま見られる選手たちの喜怒哀楽や葛藤など、さまざまな人間ドラマも重要なテーマである。そういった意味でもスポーツ写真の現場は、優れたドキュメント写真が生まれる要素で満ちているといえる。
そんなスポーツ写真の発展は、撮影機材の発達と強い結びつきがある。被写体をクローズアップすることのできる明るい望遠レンズ、動きを止める高感度フィルムと高速シャッター、そして強力な発光装置などもスポーツの撮影では必要とされた。こういった機械的な条件がそろうようになったのは1920年代のことだ。ちょうどそのころにプロスポーツが大衆のものとなり、アメリカでは野球のベーブ・ルースやボクシングのジャック・デンプシーといった国民的ヒーローが誕生している。彼らヒーローの活躍は、新聞や雑誌を大メディア産業とするのに大きく貢献したのだ。
こうして写真がスポーツのすばらしさを伝え、大衆を熱狂させるようになると、政治家によってスポーツイベントが利用されはじめる。1936年に開催されたベルリン五輪は、当時のドイツ政権を握っていたナチスの宣伝の道具となった。女性写真家であるレニ・リーフェンシュタールがベルリン五輪を撮影した記録映画「オリンピア」は有名だが、日本からも報道写真家の名取洋之助が取材に訪れるなど、ナチスの台頭とヒトラーの政治的成功が全世界に宣伝されることとなったのだ。
また五輪やW杯など、世界的なスポーツイベントは、カメラの技術革新の場でもあった。デジタルカメラの登場とともに、画像データの通信システムなどが整備され、各メーカーの最新のテクノロジーがこうした機会に試された。スポーツ写真の現場は、選手だけでなく、写真家やカメラメーカーにとっても真剣勝負の舞台となった。
スポーツ写真は、人間の瞬間的な動きをとらえたり、連続で記録することによって、スポーツ医学やバイオメカニクスという身体力学や生体力学を飛躍的に発展させてきたことを付け加えておこう。