社会的な事件や問題をテーマとし、それを写真家自身の視点で多角的かつ深く掘り下げてゆく。そして新聞や雑誌、または写真集などのメディアを通じて人々に問いかけ、さらに社会を変えるひとつの力になること。これがドキュメンタリー写真家の仕事だ。それには客観性のうえに、さらに独自の芸術性があってはじめて説得力をもつ。
ドキュメンタリー写真というジャンルが誕生したのは、19世紀末から20世紀初頭。ニューヨークのスラムで暮す移民をとらえたジェイコブ・リースや、工場などで過酷な労働を強いられた子どもたちを撮影したルイス・ハインの仕事がその代表といえる。とくにハインの写真は、児童労働法の成立に大きく寄与した。やがて1930年代になると、ドキュメンタリー写真が盛んになってくる。その技術的な理由は、まずライカの登場(1925年)に代表されるカメラが小型化かつ高性能化したことだ。どのような状況でも写真が撮れるようになり、ロバート・キャパに代表される、悲惨な戦場の実態を取材する写真家も数多く登場してくる。
また印刷技術が進み、写真を雑誌や新聞でより活用できるようになると、写真を主体としたグラフ誌が登場した。その最大のものが1936年にアメリカで創刊された週刊の『LIFE』で、1967年には780万部という驚異的な総発行部数を達成する。ユージン・スミスなど優れた写真家が、こういったグラフ誌で優れた仕事を残した。
日本に目を移すと、本格的にドキュメンタリー写真が撮られるようになったのは1950年代の後半から。高度成長のひずみで生まれた労働問題や公害問題、原爆などが残した戦争の爪痕などがテーマとなった。その代表的な写真家が土門拳である。また1960年代に入ると国内では水俣病などの公害、国外ではベトナム戦争をドキュメンタリー写真家たちは積極的に撮っている。
しかし、やがてテレビがジャーナリズムの主役になり、『LIFE』も1972年には廃刊となる。ドキュメンタリー写真の全盛期は1950~60年代であったが、社会のさまざまな問題に取り組む写真家はいまでも少なくない。