Check Point
風景も昼と夜とではまったく違う表情を持つ。ことに人工的な照明が溢れる都市部では、異様な表情が出現する。さらにそれをデジタルカメラで撮ることにより、肉眼では感じ得ない色彩が表れる。その原因としては照明ごとの光源の違いや、長時間露出と徹底的なホワイトバランスの調整による要素があげられる。科学的な現象とテクノロジーを利用して、写真家はごくふつうの住宅地を作品化した。平凡な住宅地の風景に潜む、どこか不安で怪しげな気配が浮び上がっている
ひとくちに風景写真といっても、いくつかの傾向がある。たとえば風景を地理学的に記録したものと、感性を刺激する美的な対象として表現したもの。また、とくに風景写真を「ランドスケープ」と呼ぶことがあるが、それは建築学の定義にあるように「人間にとって必要なメッセージや情報をもった環境としての風景」をとらえたものである。
まず19世紀に写真が発明されると、初期の写真家たちはカメラを抱え、世界中の風景を撮りに出かけた。南米、アジア、アフリカ、そして日本。こういった風景は、それを見る西欧人のオリエンタリズムを刺激し、グランドツアーと呼ばれる観光旅行ブームが起きた。
また風景写真を芸術作品として取り組む写真家も現れた。とはいえ、当時はまだ機材や感光材料の能力が不十分だったので苦労が強いられた。たとえば海の風景を撮るときなどは、海と空の露出の差があまりに大きいため、別々に撮影してあとで合成しなければならなかった。
実用的な人間の活動に役立つ風景写真については、アメリカで大きな成果があった。アメリカ西部の開拓にあたって、写真家たちはときに開拓民に先んじて撮影に出かけ、未知の土地の風景や地形を詳細にカメラで記録した。それらは開発のための貴重な資料として使われたが、しだいに芸術的な価値の高さが認められていった。アメリカ西部の風景といえば、1930年代からはアンセル・アダムズやエドワード・ウェストンといった写真家がその壮大な風景をテーマに、優れた作品を数多く残している。
風景写真の対象は自然だけではなく、急速に発展する都市や、開発が進む郊外をテーマにしたものも多い。その傾向としては、人が作る環境の豊かさと疎外感を表現した作品が多く、先に述べたランドスケープの定義によくあてはまるものといえる。
いずれの取り組みにも、風景写真家は描写性能に優れた大型カメラを使うケースがいまでも多い。細密な画像で再現される風景は、肉眼では見えないものまでをも認識させ、よく知った風景でもそこから新たな美や意味を引き出すことができるからだ。